2013.05.12

焼きたてパンは殺しの香り

というわけで、こういうのとか、


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こういうのとか、

 

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こういうのとか。

 

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出てくるようになったのは大変喜ばしいことではあるが、うまくいかなかったときに台所から悲鳴とか、舌打ちとか、罵声とか聞こえてくるのは怖いからやめてほしいと思う。


あと、うまくいったときにぼくをつかまえて台所に引きずって行き、頭を押さえてオーブンの中をのぞきこませて自慢するのもやめてほしい。

 

美味い。美味いから。

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2013.05.03

野良酵母を飼おう

妻が変なものを飼いだした。

 

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酵母。

 

え、酵母って飼えるの?

 

酒を作ったり、パンを焼いたり、味噌やヨーグルトなどの発酵食品を作るときに必要な微生物、という程度の知識はあったけれど、必要なときに、どこかで培養している酵母を分けてもらうのだと思っていた。パンを焼くときのイーストだって、店で売っているみたいだし。酒造所とか、パン屋さんとか、プロは代々家付きの酵母を引き継いでいるのかな、とは思っていたが。そういうの天然酵母って言うんじゃないの? え、違うの?

 

りんごとか果物を刻んで水と一緒に煮沸消毒した瓶に入れて置いとくと、酵母が勝手に増えるんだそうだ。

 

勝手に増えるわけないだろ。酵母どこから来るんだよ。果物にくっついてるの?
その辺をふらふら飛んでいるやつがたかって増えるんだそうだ。本当かよ。
かなり半信半疑。

 

酵母が増えるには一定の温度が必要だそうで、妻が目をつけたのがぼくの熱帯魚水槽。
ネオンテトラが迷惑そう。

 

ほんとにこんなので酵母増えるの?

 

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増えたらしい。

 

ホントだ。パンできた。
天然酵母のナン。
へー。

 

うまいじゃん。

おれのカレーも美味いけど。

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2013.04.29

夕飯はかき氷

人間、時として酔狂なことをしてみたくなるものである。

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妻が以前、かき氷の専門店に行きたいと言い出したことがある。 

 

それは真冬のことだったから、今時やっているわけないだろ、と言ったらやっているのだそうだ。ネットで検索してみたら確かに営業しているみたいだ。いったいどういうやつが冬の最中にわざわざかき氷なんか食うんだ、と思ったけれど、ヒマだったので出かけてみることにした。

 

わが家から1時間、海辺の街の住宅街の中にぽつんとある店で、確かにあの「氷」の吹流しが木枯らしにはためいている。おいおい、と思ったけれど流行っているらしく、先客が並んでいるのでびっくりした。店も店だが客も客だ。

 

席に通させれて待つことしばし、出てきたのは確かにかき氷。ところがこいつが美味かった。どう美味いかはちょっと表現しにくいけれど、インスタントの袋入り味噌汁と、ちゃんと時間をかけて出汁をとった味噌汁の違い、という感じだろうか。ぼくが今まで食っていたスーパーで売っている色付きシロップがけのかき氷(それはそれでうまいんだけれど)はいったいなんだったんだ、とちょっとショックを受けた。

 

ぼく以上にショックを受けたのが妻で、凝り性の血に火がついたらしく、翌日からレシピを入手するは、シロップを手作りするは、かき氷マシンを買い込むは。毎日夕食の代わりに、本日の試作かき氷が食卓に出てくるようになった。

 

試行錯誤の末に行き着いたのがスタンダードな苺と練乳のかき氷。シロップは生の苺を使い、練乳も手作りである。これ、すげえうまい。かき氷機が家庭用なので、店のかき氷みたいにふわふわにならないのは惜しいところだが、シロップは専門店にもひけはとらないと思う。

 

氷はいくらでもあるので、うまいうまいと食っているうちに結構満足してしまい、ぼくがもともと夜はあまり食わないことにしているせいもあって、夕飯はかき氷、というパターンがここしばらく定着してしまった。二人して夜中にガシガシかき氷を食って、その後寒い寒い言いながら肩までこたつに潜ってプルプルしている。

 

というわけで、わが家はGWが過ぎてもしばらくこたつが片付けられそうにありません。

 

大丈夫かこの家。

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2013.04.26

あとで困ればいいのかもしれない

「ぼのぼの」というマンガを読んでたら、こんなやりとりが出てきて、感心したことがある。

 

ぼのぼの「いま困らないけど、あとで困ると思うなあ。」

あらいぐまくん「あとで困るなら、あとで困ればいいじゃん。なんでいま困ってんの?」
(うろおぼえ)

 

ぼくたちは昔、アリとキリギリスの話を聞かされて、あとで困るぞ、とさんざん脅かされたものだ。
なるほど、あとで困るのか、それは困るなあ。
子供と大人の両方を経験した大人たちがそういうのだから、本当なのだろう。
だったらいま、がんばっておかないと。

 

で、いい歳をして、いや、いい歳になったからこそ、ときどきふと思うのだが。
あとっていったい、いつだろう?

 

ぼくたちは子供のころ、それなりにがんばったのだから、大人になったら困らないと思っていたのに、やっぱりいまも、それなりに困っているのだ。

 

しかも大人になったら大人になったで、やっぱり、あとで困るぞ、と言われているのだ。
老後の蓄えは○○円必要だぞ、ちゃんと生活設計しているか? という具合に。


 

がんばり方が足りなかったのだろうか?

もっとがんばれば、いまは困らなかったのだろうか?

これからもっとがんばれば、本当にあとで困らないのだろうか?

 

もしかしたら、どっちにしても困るんじゃないだろうか?
あとで困るなら、あとで困ればいいのではないだろうか。
どっちにしても困るなら、先に困ってないで、そのときに一番やりたいことを、一番やればよいのではないだろうか?
だいたい、困ったり困らなかったりする以外の選択肢ってないんだろうか?

 

・・・

 

眠いので、寝る。

 

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2013.04.20

緑の親指

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なにコレ?

ぼくが育てている多肉植物で、ハルオチア・オブツーサという。南アフリカ原産で、葉っぱに透明な窓が開いている変な植物。

実はこいつは2代目で、1代目はこの丸い葉っぱがにょきにょき伸びるので、面白がって水をざぶざぶやってたら枯れてしまった。今度は水やりのコツを調べ、カーテン越しに日の入る窓際に置いて、あまり構いすぎないようにしている。

そしたら先日、波平さんの一本毛みたいなのがにょき。
なんだこれと思ってたらにょろにょろ伸びた。

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変なの。

でもまあ花が咲くということは、それなりに快適に過ごしてくれているようで何よりだ。
種がとれたりすんのかな。

ぼくは身の回りに葉っぱがないと落ち着かない。
結婚して住む街を探すときも、条件として「緑の多いところ」というのを付け加えたくらいだ。きっと前世はてんとう虫かなんかだったのだろう。

ちょくちょく鉢植えを買ってきて机のまわりで育てたり、庭に適当な苗木を植えたりするのだけれど、好きなだけで適当なものだからうまくいかない。いじりすぎるか、ほっぽりすぎるかのどっちからしく、加減がよくわからない。ときどき植物を育てるのがやたら上手なひとがいるけれど、コツを教えてほしいと思う。

オブツーサ以上にうまくいかないのがアジアンタム。乾燥に弱いようで、まめに霧吹きで水を吹いてやっても、数ヶ月程度である日突然葉っぱがちりちりになってしまう。で、いろいろ考えて、大きい透明な鉢を買ってきて、その中にアジアンタムの鉢を入れてしまうことにした。コップの中で育てるようなもので、ある程度湿度を維持できるのではないかと考えたわけだ。

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これはある程度正解だったらしい。

いま中に入っているのは一度葉っぱを縮らせてしまったやつ。枝を整理してリハビリ中で、今のところ枯れてしまう様子はない。

ただ、外からよく見えないので、本末転倒なのではないかという気がしないでもない。

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かくなる上は、わが家全体を温室化するか。

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2012.09.04

衝撃のコーンポタージュ

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ガリガリ君「」と間違えて、ガリガリ君「コーンポタージュ」を買ってきた。

一瞬、何が起きたのか理解できず、空間は歪み、思考は空回りし。
冷蔵庫の前で立ち尽くす。
「・・・おれって誰だっけ?」

ガリガリ君でこれほどのショックを受けるとは。
そんな自分に改めてショックを受けたり。

コーンポタージュに恨みはない。
いや、好物だ。
ビックボーイのスープバイキングでは、中華やミネストローネをさしおいて、コーンポタージュを選ぶぼくである。

それをガリガリ君に適用することの是非はひとまず置いておく。
冒険は大切であろう。
前例や踏襲の打破が、文字通りブレイクスルーにつながった例は枚挙にいとまない。
それを否とするぼくではない。
カレー味、コンソメ味のガムも経験した。
普段なら、この挑戦を鷹揚に受けて立っただろう。
かかってきなさい。

が、不意打ちはやめてほしい。
心構えの余裕を与えて欲しい。

なんかうまく歩けないくらいへとへとになって帰って来て、
あんまり食欲もないからコンビニで買ったポップコーンだけ食って、
せめて口中だけでも爽やかに、と一緒に買ってきたガリガリ君「」がガリガリ君「コーンポタージュ」。

しかも4本

世界はもともと人間には無関心だ。それはわかっている。
それでも時として、そりゃないよ、と思うことがある。

もうだめだ。
寝る。


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2012.08.19

ハチェット戦隊

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マーブル・ハチェットの編隊飛行。
左上から順番にハチェット・イエロー、ハチェット・ピンク、ハチェット・グリーン、ハチェット・ブルー、真ん中がハチェット・レッド。

だいぶ前に連れてきたハチェットが1尾だけになってしまい、ぽつんと水面に浮いているのが淋しそうで気になっていたのだけれど、この種類はこのあたりの熱帯魚屋ではあまりみかけず、仲間を増やしてやることができずにいた。が、昨日ひさしぶりに行ってみた店で見つけたので、4尾連れて帰ってきた。

温度合わせのためにビニール袋のまま水槽に浮かべている時から、もとからいた一尾がまわりを行ったり来たりして気になる様子。で、仲間たちを水槽に離してやったら早速合流。ポーカーフェイスなのでよくわからないけれど、きっと喜んでいるのだろう。仲良くやれよ。

いつも思うのだけれど、魚はどうやって仲間を見分けるのだろう? 自分がどんなカッコをしているのかわかっているわけじゃないだろうし。魚には魚の審美眼みたいなものがあって、こいつかっこいい、そばにいよう、みたいに思うのだろうか? その基準が魚ごとに違うのだろうか? だとすれば、シルバー・ハチェットとか、似た形だけれどちょっと色が違ったりするとどうなるのだろう? ハチェット・シルバーになって収まるのだろうか?

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2012.07.29

イタリアおやじの夏

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イタリアおやじはかっこいい。
噂には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。

イタリア人は(特に南のひとは)小柄で、背丈はわれわれとたいして変わらない。髪も瞳も黒い。スタイルだって似たようなもんだ。髪の薄いオヤジも腹の出たのもいる。遠目では日本人と大した違いはないと思うのだが。

これがもうなんか、歴然と違う。
特に若いのより、おやじがかっこいい。

通行人をパシャパシャ撮るわけにもいかず、資料写真が少ないのが残念なのだが、これは街の景色が様になるのと並んで、ローマでびっくりしたことの一つだった。

しかもなんでかっこいいのかよくわからない。
普通の、あたりまえのカッコをしているようにしか見えないのだ。
ボタン穴にバラを指してたり、白いスカーフをなびかしているわけではないのだ。

ひとつ言えることがあるとすれば、着崩しているひとはいない。
連日35℃を超える猛暑の中で、ワイシャツで歩く人や、ネクタイを緩めている人をとうとう見かけなかった。背広の人はちゃんと背広をちゃんと来て、ネクタイもきちんと締めているのである。

イタリア人は背広はもちろん、シャツ1枚でもオーダーメイドするというが、その効果なんだろうか。
そういえば、フィレンツェで靴職人をやっている日本人が出てくるテレビ番組を見たことがあった。
彼の作る靴は完全手製なので1足50万円とかするという。そんなのどんな富豪が買うんだろうと思っていたが、彼のお客さんは近所の文房具屋さんの店主とか、まあ普通の人なのである。
金の使い道が違うということなのかな。

でも、どうみても金持っているようには見えない、道端でアコーディオン弾いるおっさんも、それはそれなりにさまになっているのだ。みんながみんな、自分をどう見せるべきかを心得ているような気がする。
イタリアおやじおそるべし。

というわけで、イタリアおやじウオッチングは、ぼくと妻の旅行中のひそかな楽しみのひとつであった。イケてないのはみんな「あれはきっと観光客だろ」と片付けていたので若干客観性には欠けるのだけれども。
みなさんも機会があったらお試しを。

帰って来てから、語学教室のイタリア人のマルコ先生(仮名)に、なんでイタリアおやじはあんなにかっこいいのか聞いてみた。

イタリアの男は、おやじやおじいさんから着こなしを学ぶのだという。なるほど。あれもイタリアの伝統芸のひとつだったのか。ぼくたちが箸の持ち方を間違えておやじにひっぱたかれているときに、連中はネクタイの選び方でおやじに折檻されているのだ。洋服を着るようになってせいぜい百年程度の日本人が勝てる相手ではないわけだな。

と愚痴ったら、「・・・イタリア人はそのエネルギーをもうちょっと別のところに使うべきと思うこともありマス」とマルコ先生。

・・・そういや、電車が1時間くらい平気で遅れますね。

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2012.07.22

城塞都市~オリヴィエート、チビタ

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ローマから列車に乗って1時間ちょっとのところにある、オリヴィエートという街。ちょっと離れた丘の上から眺めるといろいろ乗っかったピッツアみたい。このままゴゴゴゴゴと上昇していき、ヒュンヒュン回転しながら飛んでいっちゃうんじゃないかという気分になる。

イタリアはちょっと前までとなり町同士で戦争してたので、ぐるりを城壁が取り囲んでいたり、町それ自体が要塞っぽい。なにしろ2000年前の建築物が普通に残っていて、数百年程度だったら当たり前に使っていたりする国だから、ローマやフィレンツェにも城壁の名残は残っているし、オリヴィエートくらいの規模だとほとんどそのまんまである。要塞は必要以上に広いと守りにくいから、内部はそれなりにごちゃごちゃしている。こうして眺めるとまわりは随分土地に余裕があるようだから、もっと広いところでのびのび暮らせばいいのにと思うが、まあ日本人にそんなこと言われたくないわな。

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街の中はこんな感じ。有名な観光地というわけでもないけれど、それなりに賑わっており、こじんまりしている分ローマに比べて街の人との距離感がずっと近い。もし住むんだったらこっちのほうが面白いかもしれないと思った。
奥に見ている時計塔は「イル・モーロという人が作った」とガイドさんに聞いたが、どこかで聞いた名前だと後で調べたら、何冊か読んだイタリアの歴史の本の登場人物の一人で、15世紀にミラノを統治していた人物だった。

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オリヴィエートのドゥオーモ(大聖堂)。300年かけて作ったんだそうだ。ガイドさんはこの街で生まれ育った人で、この聖堂は第二のホームだと言っていた。彼女も、彼女の子供もここで洗礼を受けたという。
小さい街なので、街の人はほとんどが顔見知り。ガイドさんは我々を案内する小一時間の間に、何度も知り合いにつかまっては立ち話していた。

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オリヴィエートの地下には、先住民であるエトルリア人がほじくった地下通路が網の目のように広がっている。聞き違えていなければ、紀元前5000~6000年前のシロモノだそうだ。中は上着が必要なくらい涼しい。ワインセラーにはもってこいだという。
壁にはいっぱいの彫刻。イタリア人って・・・

オリヴィエートからさらに車で小一時間のところにチビタという街がある。
ここは妻がどうしても見たいと、そのためにガイドを探しだしたところだ。

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なにこれ。
天空の城?

300mくらいの一本橋が唯一の交通路。

また、夢に出てきそうな石造りの街。
白昼でも変な気分になるので、夜にここにいたら数百年前にタイムスリップしてそのまま帰ってこられなくなりそうだ。

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昼は観光客が来るので店も開いているし、レストランやバールもあって淋しい感じはしないが、街に住んでいる人は20人くらい。年寄りばかりだそうだ。

小さいショッピングセンターくらいの街をウロウロしていたら、たぶんその中の一人なんだろう、庭先に腰掛けたおばあさんに庭を見ていきなさいと声をかけられた。

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この街のもう一つの異名が「死にゆく町」。街からは人が減っていき、丘は今も少しずつ崩れていく。いずれは街そのものが消えてしまうだろうと言われている。廃墟になることを予定されているのだ。
あのおばあさんは消えていく自分の故郷をどんな目でみているのだろう。

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ねこはあまり気にしていないようだったけれど。

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2012.07.21

石壁の向こうに

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ローマでガイドブックに載っているポイントにたどり着くのは簡単ではない。特に教会が難しい。道がわかりにくいわけではない。目指すあたりにたどり着いてさて○○教会はこのあたりのはずなんだが、と思って見回すと、目の届く範囲にどでかい教会が3つも4つもあるのだ。おまけにそのあたりの普通の建物もやたら威厳があって、教会と区別がつかない。

ローマは言わずと知れたカトリックの総本山である。バチカンが世界津々浦々に拠点を持つカトリック教会のヘッドクオーターだとすれば、ローマはその企業城下町みたいなものであって、教会がいっぱいあるのも当然だ。なにしろローマ帝国がキリスト教を国教にしたのは、今からざっと1600年前のことである。

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小さいドアを押して教会に入ると、別世界である。ひんやりと暗く、静かで、炎天下でカオスなローマの街の熱気は厚い石の壁に遮られて、入ってこない。
ローマの教会は祈るところなので誰でも入れるし、拝観料みたいなものもない。凄い彫刻があったりするので観光客がぞろぞろ入ってくるが、みんななんとなく小声になる。ぼくもいくつか教会に入るうちに、なんとなく後ろめたくなって写真を撮るのはやめてしまった。

100年前も、1000年前も、ローマの街はおそらく今とはまた違う意味で、カオスだったのだろうと思う。そういう世界で暮らしていくためには、なにか確固とした柱みたいなものが必要だ。教会はそういう意味で必要だったのかもしれない、とふと思った。

何しろヘッドクオーターなので、街で普通に神父さんを見かける。東洋系の神父さんは本社出張中なのだろうか? 観光スポットで見物の列に並んでいると、何人か後ろに尼僧の二人連れがキャッキャウフフしてたりする。本社に来たついでにプチ観光なのかな。
ジェダイナイトみたいな修道衣を着た修道僧らしいひとも歩いている。修道衣を腰紐で結び、サンダル履きだけれど、清潔な修道衣は柔らかそうないい生地で、糊がパリっと効いているので逆になんだか変だった。

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こういう店もある。バチカン市国のそばにあって、神父さんがのぞいていたのでまさかコプスレ店ではないと思うが、こういう衣装って欲しければ誰でも買えるものなのだろうか? 

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